言わない矜持をもって雰囲気を操る

 高市さんが首相になりましたね。かあちゃん実は地元が近くて。いい学校もなければ遊ぶところもない、本当に何にもないところなんですよ。だから、どんな苦労があってあそこにいったのかという計り知れない努力や胆力につい思いを馳せてしまいます。

 久しぶりに日本が沸いている感じがしますね!トップが歩んだ人生が裾野の雰囲気を瞬時に変えましたね。幾多の苦労を超えた高市さんが作った経済であり、雰囲気。今日はそんな雰囲気のお話をしたいなと思います。

言わない力が人を決め、そして結末を決める

雰囲気や空気を軽んじていた20代

  このブログでも何回か言ってきましたがかあちゃんは正しさの物差しで生きてきた人間でした。いや過去形というか今もその最中ですが、何とか脱しようと頑張っています。振り返れば家を出てから社会人になりたての頃、この正しさ正面突破法で何度も失敗してきました。

 「こんなこと言ったら空気悪くなるじゃん」とか、「これを言い出すのにどういうふうに持っていこうかな」とか周りが話すのを聞いて、それらを重要視する理由にいまいちピンと気にしていませんでした。なんというか雰囲気とかの話を根拠が弱い議論に感じていました。いやなんでそんなふんわりしたことを気にする?やるかやらないかでしょ、やってないほうが悪いでしょ、と思っていました。

たまに正しいことは言っていたかもしれないですが、それを伝える過程、伝え方や伝わり方、雰囲気、相手の響き方への配慮の重要性をわかっていなかったんですよね。間違ったことをしている人に対して配慮なんか必要ないと。

でもそうやって生きてきた結果、得たい結果は何も得ていない。これが現実です。

言わない力が人を決め、そして結末を決める

 自分が場をまとめる立場になることも増えてきたためか、今ではもう雰囲気や空気の重要性は身にしみるほどわかっています。どんな雰囲気でものを言うか、どんな雰囲気のチームを作っておくか、日々自分はどんな雰囲気を纏っておくのか。これはもう超絶大事で難易度の高い社会人というか人生スキルだと思っています。

 賢い人たちは正しさで正面突破せずに、人は感情の生き物であることや、雰囲気や空気感の持つ力を知っていて、言わない力を用いてそれらを上手く使って、得たい結果を得てきたんですよね。

 最近は高市さんなど各界のトップの人たちを見ると、ああこの人たちは「言ってはいけないことを言わない選手権」のトップだからトップにいるのかなと思ってきます(笑) 

shortとかで高市さんの過去の映像とか最近流れてくるじゃないですか。そうするとこれまで本当ひどいことを散々言われてきていて、どれだけ言いたいことがあったんだろうって思ってしまうんですが、自身の精神やその場の雰囲気を異常に高い次元で操り続けた結果が今なんだなと。

言わないっていうのは雰囲気を決め、人を決め、結末を決めるなと思います。

雰囲気に責任を持ちながら、自分の中ではチャラにしないスタンス

正しさよりも感情を大事にすることが結局幸せ

 雰囲気って正しさよりも結果に作用するよね重要だよね、というだけではなくて大事なのが自分もそのほうが楽なんですよね。意志が弱いみたいでモヤモヤするし悔しいけれど、私はこのことを認めて過ごせるようになりました。

 納得いかないこと、たくさんあります。自分の信念や価値観に触れるような激怒すること、ありますよね。でもだからといって重たい空気の中に自分を置き続けるよりも、穏やかな空気の中にいる方が、自分は安らいでいられる。これは信念弱いとかそういうことじゃなくて、人間ってそういうものだと思うんです。

 もちろん決して全てを許したわけでも受け入れたわけでもなく、腹の底で思いを抱えたままでいいんです。でもそこである種、感情と考えを分けることを踏ん張って、振る舞いや言動に気を配り纏う雰囲気を極力通常運転にすることで、結局自分が落ち着いた心を取り戻すことにつながると思っています。

雰囲気作りのラスボスは、旦那

でも、、

 1番難しくて1番自分が試されるのはこれを旦那にもやるってことじゃないですかね。だって1番わかってほしい人だから。職場の人みたいに割り切れないんですよね。家族、自分自身、仕事、子供、そういった自分の人生の中で最も大事な要素全てを共有する相手であり、その自分の大事な価値観をを自分が大事にするようにまるっと理解してくれと思ってしまう相手だからです。

 でも旦那だって他人。これがなかなか難しい。自分のコアな価値観を1番わかってほしい相手に対しても、わかり合えない時に雰囲気を崩さないことができるかどうかは、本当に自分が試されるなと思います。

 大切な人と大事なことをわかり合えないこと自体も悲しいし、話し合ったり悩んだり対峙するのもエネルギーがいるし、わかり合えないことで雰囲気悪い状態も悲しいし、この悲しさの中で雰囲気を崩さないって、並大抵のことじゃないですよね。

雰囲気に対する責任をもつ

 でもこのことで何周か悩んで思うのは、頭で納得いかないことの中で本当に明るく振る舞えないことがあったら、それはそれで譲らなくていいと思うんです。これが自分の心を守ることになると思います。(雰囲気良くて何にも気にしてないと思われるのもちょっと癪ですし!笑) 

 子供っぽく不貞腐れ続けるのは違うんです。前新R25を見てて編集長の渡邉さんがめちゃめちゃ勉強になることを言ってて、自分が会議などで発言する時に、これまでの空気をいただいて発言し、発言が終わったあと元の空気に戻すまで責任を持てって言ってたんです。死ぬほど過去の自分ができてなくてブッ刺さったんですが、本当にそう。空気に対する責任という視座

 譲れないことがあったら自分の心を優先してもいい。感情と考えを分けられるようになって自分を取り戻してきたら、自分から空気を戻しに行く。そもそも、そういう孤独や辛さと共にある矜持を持って、自分の中ではチャラにしないこれが穏やかな雰囲気の中で自分を守りながら過ごせるスタンスなのかなあという気がしています。

雰囲気を大事にしながら、自分の心も守る。そのバランスを取るのが、これからの私の矜持です。

何事も言うは易しですけが、日々鍛錬です。お読みいただきありがとうございました!

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